2007年05月31日

学校と検閲

 あるところに連載している原稿を書いた。「学校はただしい」という。僕があるPTAに呼ばれて講演した内容をそのPTA新聞に掲載しようとしてくれたのだが、学校側の圧力で掲載が取り下げられたのだという。つまりは検閲を受けたわけだ。
 そのことを当該学校の実名入りで書いた。なぜ実名かというとその学校は学校の論理として正しいことをしたわけで(学校においては検閲は超法規的な措置であるだけの意義を持っている)、けっしてよそに恥じることをしたわけではないだろうからだ。もし、実名を出したことにお怒りになるとすれば、それは世間に恥じることをしたということになるだろうから、怒るわけにはいかないだろう。何しろ僕は自分の原稿(PTAの方にまとめていただいたが、校正で手を入れたので僕の原稿だと言える)が無断で不掲載処分にされたのだが、そのことでいっさい学校を責めてはいないのだ。つまり僕は学校が検閲をしたことを認めてあげているのである(いまのところ)。
 「学校はただしい」は編集者から仮名にしてはもらえないか、という打診はもらったが、上記の説明をしたら承知してくれた。まもなく発行されるはずだ。「学校はただしい」はおそらくその学校の多くの先生方の目にも触れるはずだ。きっと驚くだろう。しかし、検閲がきらいな人だからといって学校を非難してはいけない。まず自分から変わらなくてはいけない。検閲をした人を批判するのではなく、自分が検閲をしない学校を作っていかなくてはならない。それが言いたいのだ。
 楽しみになってきた。



posted by 河東真也 at 22:01| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック